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手元供養の体験談・想い出

手元供養の体験談
手元供養

手元供養の体験談や想い出を、皆様からお寄せいただきました。

さまざまな理由や故人・遺族の考えから、身近で供養する手元供養を選択される方が多くなりましたが、供養の方法の選択や考え方などは、なかなか他の方のお話を聞く機会は少ないと思います。

いろいろな事を迷いながら、時間をかけて供養の方法を選択される方などのお話を、参考にしていただければ幸いです。

【体験談1】父の希望で手元供養にしました 【体験談2】祖母とずっと一緒にいられる幸せ
【体験談3】離れて暮らす父母のために 【体験談4】手元供養に置いておく遺骨と残った遺骨
【体験談5】祖母の遺骨を愛用の湯呑で手元供養


手元供養の体験談|手元供養専門店【祈り美デザイン】

父の希望で手元供養にしました

手元供養の体験談
手元供養
父の希望で手元供養にしました
【体験談1】

私の父は、今年なくなりました。生前よりの希望により、手元での供養にすることにしました。

父の希望でお墓には入りたくないというものが有り、また、家の片隅にでも置いておいて欲しいというのが希望でした。

父がなくなり、私たち家族は手元供養で同意したのですが、手元の供養ということで親戚からは賛否があり、私たち家族が了承しても、誰かが何かを言ってくるという状態です。

ですが、生前の唯一の父の希望ですから、叶えてあげたいと思い、お寺にも相談しました。

最近では、手元供養を選択される方も大勢おられるし、周りの方が言われている事を気にする事はないと言っていただき、決断することが出来ました。

ですが、遺骨はたくさん有り、すべてを残すというのも大変です。ですから一部を手元に残し、残りの遺骨をどうするのが一番良いか現在考えています。

今は母も若いのですが、母がなくなったあと、父の遺骨をどうするかという事も含めて考えねばなりません。

まだ、父が亡くなってからそんなに時間が立っていないのでこれから残された遺骨をどうするか真剣に考えたいと思っています。


祖母とずっと一緒にいられる幸せ

手元供養の体験談
手元供養
祖母とずっと一緒にいられる幸せ
【体験談2】

私の祖母は、92歳で亡くなりました。よくしゃべる、明るくて可憐なひとで、料理も裁縫も上手く、大好きなおばあちゃんでした。

亡くなってしまったときは1週間ほどは嗚咽が止まらず泣き暮らし、もう会えないのだと思うとどうしようもない気持になりました。

祖母は生前から「暗い地面に入れられるのは嫌だ」と、通常のお墓への納骨を拒否しており、散骨を望んでいました。
そのため、船を借り専門業者立ち会いのもとで海への散骨を行いました。

その時、お墓が無いと手を合わせる場所が無くなるので少しだけ砕いたお骨を頂き、手元供養をすることになりました。

手元供養品はペンダントタイプのものや、神社のお守りのような袋状のもの、仏壇用の骨壷と様々ありましたが、桜の花びらのようなきれいな色合いのミニ骨壷(手のひらサイズ)に決めました。

現代仏壇なので違和感なく置け、お参りに来られる方も仏具の一種と思われていたようで、説明をすると「こんなにきれいなものがあるんですね」と言われていました。

いつでも祖母がそばにいてくれるので、手元供養品を購入して本当に良かったなと思います。


離れて暮らす父母のために

手元供養の体験談
手元供養
離れて暮らす父母のために
【体験談3】

私は3人姉妹の末っ子です。

一番上の姉は6歳年上で、結婚後は実家のある隣町に家を建てて暮らしています。

下の姉は4歳年上です。高校卒業と同時に上京し、そのまま東京で結婚して長男の嫁として夫の家で暮らしています。

私は、一度東京で就職したものの、リストラに遭い実家に戻りました。姉妹のなかで、父母に一番迷惑と心配をかけたのは私だと、二人の姉にも言われましたし、自分でもそう思います。しかし、こんな私も県外へ嫁いでしまいました。

現在、実家は父と母の二人暮らしです。

もしも父と母が亡くなったら、手元供養をしたいと考えています。

まだまだ二人とも元気なので、万が一のことなど考えるのは、罰当たりなことかもしれません。しかし、いずれは必ず訪れるそのときのことは、けして避けることはできないのです。

父母を置いて遠くで暮らし、私自身が年を重ねていくことを考えても、手元供養が私にできる最良の方法なのではないでしょうか。

いずれ、長姉に相談してみようと思います。


手元供養に置いておく遺骨と残った遺骨

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手元供養
手元供養に置いておく遺骨と残った遺骨
【体験談4】

父がなくなり、遺言通りに遺骨を手元供養にしました。

しかしながら、すべての遺骨を家に置くとなると、無理があるなという気持ちになりました。

今は母が元気に生きていますし、まだ若いですから、遺骨の管理を任せる事ができますが、母がなくなった後に父の遺骨をどうするのか?という事もしっかりと考えておかないと、母が亡くなった困っていうと言う事で色々と考えています。

その結果、遺骨の一部を残して、業者に依頼をして散骨し、残した遺骨は母が亡くなった際に、一緒に再火葬するということにしました。

この方法を取れば、あとを継ぐ私の弟も、母が亡くなった後、父の遺骨をどうしたら良いかというふうに悩まなくても済むので、この方法にしました。

更に、母の遺骨は、父がお墓に入りたくないという希望がある為、とあるお寺に骨仏というものがあるそうなので、そちらに預けて、骨仏様にしていただこうということになりました。

まだ、母はとても若いので、あまり考えたくはなかったのですが、あとを継ぐ弟の事を考えると話をしておくべきことだなと思いました。


祖母の遺骨を愛用の湯呑で手元供養

手元供養の体験談
手元供養
祖母の遺骨を愛用の湯呑で手元供養
【体験談5】

私は両親と同居しています。自宅の仏壇には、父方の祖母が生前愛用していた湯呑があり、その中に遺骨の一部を納め、手元供養しています。

これには、亡き母親に対する父の強い思いが込められているのです。

祖母が亡くなったのは4年前でした。祖母は伯父一家と、父の実家でくらしていました。実家があるのは、四国の香川。埼玉のわがやからは大変に遠いところです。お墓も実家の近くですので、年忌法要の時以外は、なかなか墓参して供養することができません。

父はたいへんに祖母を愛していましたので、それが残念でなりませんでした。そこで伯父に頼み、四十九日の納骨のときに、分骨してもらうことにしたのです。といっても、こちらに新しくお墓を持つのは大変ですので、遺骨のほんの一部を分けてもらって、それを愛用の湯飲みに納める方法を考えました。

ふたのついた湯呑は、お骨を納めるのに適していました。お骨を、これも祖母愛用だったハンカチにくるみ、それをビニールの袋に入れて密閉してあります。湯呑のふたは封をしてありませんから、ふたを開けて中のハンカチを見ることもできます。

お盆やお彼岸には、そのハンカチを取り出して、仏壇にそなえ、家族でお参りしています。孫の私にとっても、ただ戒名の書いてある位牌を拝むよりも、祖母を直接供養できますので、気持ちがとても落ち着きます。

「手元供養」という言い方があることを、私は最近になって知りました。父も同じで、そういう供養方法を知っていたから分骨してもらったのではなく、強い思いが図らずも手元供養になったというわけなのです。


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